新型コロナウイルス第7波の予想振り返り
7月25日に、「新型コロナウイルス第7波について」 記載した。
・発症日ピークが7月31日ころ
・陽性者数ピークが8月4日ころ
・被害としては軽度
と記載した。振り返りを行いたい。
東京または大阪での陽性者数を念頭に置いて記載したのだが、文中に明示していなかっため、全国の陽性者数の推移を中心に見ていく。NHKの報告を用いる。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data-all/
7月28日ころから横線の様な、全体として台形を描く様なグラフとなっている。
全国の検査数が上限に達したということだろう。これをみると、8月6日ころをピークとして一度下がりだすが、8月18から24日の間に再上昇してから下がりだしている。
報道された、大都市で減少傾向になった後も、規制などで地方に波及した、という効果かと思われる。第7波の1日当たり陽性者数は、8月19日が最大となっている。
全国の実行再生産係数は、7月16日にピークとなった後、8月14日に1.0を下回り、8月23から29日は1.0を上回っている。
発症日ピークが7月31日、報告日で8月4日と予想したが、実際には全国の報告は8月6日ころにピークとなりその後再上昇したため、8月11日ころがピークであったと思われる。
全国のPCR検査数では、7月27日が最大であり、実際には8月第1週がピークとなったものと思われる。その後上記の様な経過で、減少後の上昇、2峰性の様なグラフとなった。
予想と実際の経過のずれについては申し訳ありませんでした。
陽性者が遷延することについては、検査数の上限に達することに加えて、やはり感染対策に一定の効果があった可能性はある。
当院でも職員の陽性者が多く出ているが、看護師やリハビリ職員が多く、医師は少ない。
患者様とより長期に接する職種での発症が多い。空気感染は指摘されるが、陽性者との接触場面、また接触時間を減らすことは、感染率の減少に寄与する可能性はある。
全国的にはマスクや人込みを回避するなど感染対策は継続されていることが多く、陽性者のピークを遅らせる効果があった可能性はある。
急な陽性者数上昇により、病床数が飽和する=医療崩壊を避ける効果はあったと考える。
今回は入院者数は過去最大となっており、7月30日ころから、9月4日ころまで高止まりしている。重症者数は第4-6波より少ないが、死亡者数は過去最高となっている。
高齢者の入院が多く、人工呼吸や集中治療の対象にならず亡くなられた、または高齢故に衰弱死となったケースが多いのだろう。
2021年度の厚生労働省の人口統計によると、死因の原因として、第3位であった肺炎が、2017年ころから減少している。軌を一にする様にして上昇しているのが「老衰」である(図1:厚生労働省 令和3年(2021)人口動態統計月報年計(概数)の概況より引用)。
学会などで大阪大学感染症科の朝野和典先生が強調されていたが、2017年に成人肺炎診療ガイドラインが更新され、そこでは予後の短い高齢者に、積極的抗菌薬投与を控える選択肢が提示されている。朝野教授は、その影響で、「肺炎」死因が「老衰」に一部置き換わったと述べられていた。COVID-19も肺炎と同様に対応していくと、人工呼吸や集中治療を行わずに終末期を迎える方が増えるだろう。COVID-19流行3年目となり、肺炎など他疾患と同等の対応がなされる様になってきている、ということを意味するのではないかと思う。
当初、陽性者数については東京、大阪のグラフを見て記載していたが、
東京の陽性者数の最多は、グラフ上は8月3日ころ、大阪は8月9日ころと思われる。
東京都の発症日でみると7月31日がピークである。発症まで2日とすると真の感染契機は7月27日ころで、ここから全国に波及したと思われる。
今回は東京のdataについては予想した内容通りと思われるが、遅れての2峰性の波及により、予想と全国の推移とは相違する点が生じた。
最後に、当院の満床率と、全国陽性者数の推移を併せてみたい(図2)。
満床率は全体に高い。全体に、陽性者数と連動した動きだが、1週間ほど立ち上がりが早い。これは、当院が西日本の都市部に在るため、陽性者の増加が早かったことによると考えられる。第1-4波の、当院の入院例を振り返ったコホートでは、発症から入院まで6.35日を有していた。発症から陽性まで2日として単純計算すると、入院適応症例ピークは、陽性から4日ほど遅れることになる。当院所在地域の陽性者数ピークは8月6日ころであり、8月10日ころに入院ピークとなるはずだが、7月14-16日ころには満床率が飽和に近くなっている。当該地域では、第7波の入院適応例は多かったと言える。全国陽性者数は8月24日、当院満床率は8月29日ころから減少が明らかになっている。
統一教会の問題について
何故安倍晋三氏はこれ程非難されたのか。
憲法改正を正面から唱えたからではないか。
主観だが、
リベラルにおける戦後の日本国憲法は、
戦前の体制派にとっての皇室の様なものではないだろうか。(尾崎行雄の桂太郎弾劾演説=「玉座を以て胸壁と為し、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか。」)
つまり本人は皇室を必ずしも敬っていないが、不可侵の神輿として、その威により他者を従わせる、と言うことである。
自覚的かは別だが、戦後リベラルの中心にも、自らはその内容と異なるあり方だが、憲法を不可侵の「錦の御旗」として他者の批判を封じる者が居たのは確かだろう(向坂逸郎=「「プロレタリア独裁の下では政府に反対する言論表現の自由は絶対にない。日本に社会主義政権が誕生すれば、非武装中立を見直す」社会党の党是であった護憲・非武装中立政策は資本主義の間だけのことであって、社会党政権になれば直ちに社会主義憲法に改訂、軍備を持ってワルシャワ条約機構に加入する事を示唆)。
安倍氏までの主な保守政治家は、憲法改正を唱えても、真っ向から対立するのではなく、護憲派にも融和的解釈の余地を残したと思う。藤井裕久氏https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20220713/pol/00m/010/004000c
の様に、平和の大切さを訴えた政治家 と総括も可能になる。
安倍氏は、真っ向から改憲を唱えた。
リベラルからすると、他者からの批判を封じうる「玉」「錦の御旗」を毀損する と深層で感じた人も少なくなかったのではないか。
そのため、第一次安倍政権では、安倍氏は悪魔の様に批判される事も多かった。死に物狂いの抵抗を受けた、とも言える。
2012年に政権に返り咲いたが、安倍氏自身、批判者にむきになって、または感情的に 反発する場面が見られた。
これは第一次安倍政権末期の、リベラル派からのなりふり構わぬ抵抗が、不信感としてあったとは言えないだろうか。
前題が長すぎたが、統一教会の問題である。
統一教会が自民党の支援団体の「一つ」、安倍晋三氏、安倍晋太郎氏、岸信介氏らと関係があることは、Wikipediaなどでも見られたし、たまに雑誌に取り上げられることもあった。隠された事実ではない。
1990年代に合同結婚式、
霊感商法などで報道されていたのを私は良く記憶している(阪神大震災時に、文教祖が、「地震が起きたのは神戸が神の戸、神のドアだからです」などと言っていた。)
以後報道は減った。結局、メディア、視聴者が興味を失った と言うことだろう。
この間被害としては低下している様であり、信者は高齢化していると指摘されているhttps://gendai.media/articles/-/97630?page=6。
安倍氏銃撃事件があり、統一教会と自民党の関係をここを先渡と非難する人が少なくない。
ただ、統一教会がこの事件を使嗾した訳ではなく、また関係に違法性はない。
私も統一教会には強い反感をもつし、国内から出ていくなら大歓迎 だがこれは感情の話である。恣意的な手法が用いられては他問題に多大な禍根を残す。
また容疑者の生い立ちには深く胸が痛むのは確かである。特に、お父様やお兄様が亡くなられたのはどれだけ魂を損壊する出来事だろうか。心の一部は彼岸を向いていたのではないだろうか。
私が違和感を覚えるのは、メディアや言論人https://twitter.com/TomoMachi/status/1553382578052145152?t=muEvxL5ekARk0pFS5JfuUQ&s=06
今まで知っていたはずの事実を始めての様に騒ぐ、この機になって非難する(芸能人の麻薬逮捕に似ている。使用しているのを知っていたが、逮捕時になり始めて騒ぐのである。)
結局被害者や事の是非ではなく、党派性で叩いているだけではないのか?
批判が事の内容に依るなら30年の沈黙は何やねん。このネタなら保守を叩けると。
https://twitter.com/nabeteru1Q78/status/1553712248572456961?t=Gn0G7EVjAP4kWB_-pks01Q&s=06
それが悪いとは言わないが、結果統一教会が日本からいなくなれば私は良いことに感じるが(公的機関が、教義により恣意的カルト認定するのは恐ろしい。被害などで淡々と処理するのが公正と思う。)、その論の通りに進めば、その利用する目的=リベラル陣営の繁栄にしか辿り着かない。
たまたま日本社会の利益に重なる場合もあるが、
党派争いに利用しているだけに見える。
要はこれで憲法改正論議を無しにしたいと言うところにつながっていくのではないか?(現時点での日本の改憲は、海外からは北欧国のNATO加盟と同列に見られると考えている。)
他の支援団体より多く依存や利益供与があったのか?他党はどうか?
他に法的被害をもたらす宗教団体はあるのか?
までいかないと公平な議論と言えるだろうか。その場合、90年代にそうであった様に、信教の自由の話になり立ち消えるのではないか。
それまでの間に相手の力を削いでおこうと言うことではないのか。
新型コロナウイルス第7波について
実行再生産数ピークが7月17日くらいゆえ、
発症日ピークは31日、
報告日では8月4日くらいではないか。
その場合、7波の被害軽かったと言える。
厚労省「新型コロナウイルス感染症診療の手引き第8.0版」にもあり、当院のコホートでもそうであったが、重症化は、発症から約9日、入院から4~5日くらいであった。
8月上旬から中頃が重要と考える。
あとで検証します。
https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/cards/positive-number-by-developed-date/
安倍氏の件で、映画評論のかたに私見
邦画「さがす」の評論をみて、2月の評論にも関わらず2022年暫定一位とされていて、実際観てみると、乾いた笑いと、環状線南側の大阪の皮膚感覚、どこまでも生々しい、生物的人間に即した描写(日々現場でみるお看取りの現場と変わらない感覚で衝撃的でした。)に圧倒されました、ありがとうございました。
さて、私は1990年代の統一教会批判、
それからのオウム事件の経過を「テレビで」良く観ていた世代である(Y世代年長)。
文教祖が、日本は謝罪するべき云々述べているのを観て不快に思っていた。
その後30年近く、報道はされなかった。
それは、議論最後には、憲法と、政治信教の話になり、公権力による規制は望ましくない論に帰着したからと理解していた。
安倍氏(岸信介元首相の方かも知れない。)のWikipediaに、当該団体とのつながり記載があるのを見て、不快には思ったが、それが政治なのだろうと思った。映画「なぜ君は総理大臣になれないのか」にも、日本の選挙のありかたの描写がある。現にメディアも報じて来なかった。
例えば、麻生太郎氏は、保守的政治家とされることが多い。しかし、リベラルと見なされる河野洋平氏の世話を受け、信条はともかく人間関係では頭が上がらないと言う。
同じ文脈=政治家は多面性がないと務まらない、なのかと理解していた。
映画評論家のかたは、当団体が与党政策に影響した、乗っ取られているかの論をされている。だが、私も、メディアも、この映画評論家のかたも、知識がありながらこの30年間沈黙していた。
今回、政治と当団体の関係に新たな情報が出てきた訳ではない(現に、容疑者母の破産は犯行20年前とも報じられる。)
従って、与党と、当宗教法人の関係を今になって大きく言及しはじめるのは、政治利用みたいな事ではないか?と感じた。
例えば、森友問題で命を落とされた赤木氏の奥さまが、「取材に来た(望月)記者は、財務省と同じ=夫の死を利用するだけ」と述べられている。
この様に、利用するために、この出来事の批評をされるのであれば、確かに与党の支持率低下はあるかも知れないが、リベラル陣営の支持につながらないかと思われる。
当団体が天皇陛下が教祖に跪く場面を挙げ、「反日カルト」と述べる。
しかし、徴用工、慰安婦問題などで、韓国内では同様動きは良くみられ、同教団に特異的なものではない印象を、私はもつ。現に評論家のかたは、その様な問題時の支援団体の、天皇陛下を模した人形などへの冒涜、東日本大震災時のお祝い垂れ幕に「反日カルト」とは言って来なかったと理解している。
したがって、この「反日カルト」と言う非難も、評論家ご本人が方便として述べられている様に思え、その場合は支持につながらない様に思うのである。
安倍元首相逝去で明らかになる日本の衰退
https://courrier.jp/news/archives/294511/
https://dot.asahi.com/dot/2022071200026.html?page=3
下のリベラル
人生に詰んだ孤立した中年男性=無敵の人
この様な男達によって私たちは苦しめられてきた。
伊藤さん事件も想起する
という内容
人間関係に詰んだ人への嫌悪が基調にある。
この点には自己責任の様だ。
自己責任は一つの理論だが、例えば、学歴で不利益を被る人 に、自己責任と言えばそうかも知れないが(親ガチャ云々出すまでもなく私は賛成しない)、それで苦しむ人を馬鹿にしたり非難するのは、多くの人が酷いと感じるだろう。
「女子から嫌われるようなタイプでもなく」
これも多分に生得的で、努力で改善できる範囲は限度があると思う。
男女逆でこれを言えば、人倫にもとるレベルの批判があるだろう。
生理的嫌悪感が、倫理的批判に結び付いている、と言うことはないのだろうか、そうであれば落ちこぼれた人を追い詰めるのではないか??
意見は自覚的なものと、潜在意識からのものがある。後者は、他人のほうが良く見える、ということもある。考えて頂きたいと思います。
「成人してからの人間関係がこの人にはほとんどないのか……と思うほどに、友人や知人の声が出てこない。」
こちらも、人間関係、社会ステイタスから一度落ちこぼれると、経済、社会的資本に(人はパンのみにて生きるにあらず)回復の見込みがない と言う感覚への理解が薄いと思い、
リベラル=エリートの見下しに感じる人は少なくないだろう。
私はそう感じました。
映画jokerと同じ文脈だが
上の独紙
の言う通り、今回の土壌に、「他者への無関心は私達社会全員の責任ではないか」という論はありえる。
下のリベラルの自己責任論が象徴ではないか
アレクシス=トクヴィルは、個個人が社会と自分は関係ない とすると民主主義はなりたたず、多数派の専制に堕するとする。
19世紀アメリカのデモクラシーについて、
宗教とか、結社と言った非民主主義的側面が個人と社会を接続し、民主主義を支えているとする。
日本に当てはめるとどうなるのか
1945年から国が死んだままで個人が生きるのは限界ではないかと言うことではないかと感じる。
ジブリのもののけ姫 映画がある。
森の神が死んでしまい、動物達は言葉を喪ってただの動物になってしまう場面がある。作者の自覚的意図はどうあれ、私は戦後日本人を見てしまう。
ロシアへの姿勢
欧米覇権の終焉。
唯一の恐欧米国の日本だけが建前を本気にしているのかも知れない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/589bbd209d4094b93e753712ed37ebf871e5efd5
アジアなど世界の大半で、欧米国は偽善だけと見なされているのかも知れない。
ロシア国民の意識は、反感欧米(のリベラル)
と言うことで、
トランプやルペン支持者と同じ世界観になると思われる。
橋下徹氏らが無意識にでしょうが対露妥協的発言するのも同じ文脈ではないかと思う。
英米はエリート軍人を中心に、国益のために露と対決しているが、「保守」の側の者が共感せず、自分に関係ないと言った発言をしている。
米でいうと、その場合、
金融系高所得デモクラッツと、共和党主流派は、国益重視 構成員はエリート
左派民主と共和党保守派は生活重視 庶民
と、実態がわかれている。
かつての分類は、世代が変わり全く意味がなくなっている。
英国労働党
仏社会党共和党など大政党が一瞬で消滅するのもこの文脈だろう。
リズ=チェイニー氏とオバマ氏、
トランプ前大統領とサンダース氏
と言うのが正しい分け方で、後者が増えていくと思われる。
客観的指標について
詳しくはない。メートル法と言うものがある。成立は1891年頃であり、距離の測定を、制定時点での地球の長さを分割して行うものである。その際に、度量衡、及び時間の測定法が決められたと理解している。いずれも、地球の大きさや自転速度などを分割して行ったものと思う。
それ以前の時代(前近代)には、度量衡の測定は、人間の身体に即して行われていたと理解する。1feetとあるのは、footつまり1歩の長さと言うことではないかと理解している。間違っているかもしれない。日本では尺貫法と言うものがあった。1寸は指の長さだろうか?1尺は前腕の長さではないかと思っている。多くの数の表記が10進法であるのは、人間の手指が10本だからだろう。
時間は暦についていえば、日本では朝廷が定めていた。改元もそうであろう。
これは、時間の測定法を管理する、とも言えるが、比喩的には時間の流れを管理しているとも言い換えられるかもしれない。太陽の昇る速度を計測する。とも言えるが、暦を定点とすると、太陽の昇る速度を管理しているとも言える。
どれくらいかの昔には、天候不順などの原因を君主の不徳に求めたり、日食を理由として王様が民衆に殺される、などの話もあった様である。日本のは太陽の子孫であると考えられていたため、太陽の動きを決めることができた、と意訳することも可能かもしれない。
太陽の子孫と言う事であれば、全ての生物のエネルギー源は太陽であり、太陽光エネルギーから、生物学的位置エネルギーであるATPが生成されることになり、生物の進化及びその活動が始まって行ったため、全く事実でない、とは言えないだろう。
時間と言うことに話を戻すと、例えば多くの人は、100年というと長い時間と思うだろう。
何故かというと、人間の寿命が80年くらいだからではないかと思う。Dog yearと言う様に、人間の寿命が10000年あったとすると、100年などはいまの1年程度の感覚で受け止められるだろう。つまり時間についても、身体感覚でとらえているということである。
物事に客観的指標があるかという点について、上記の点から、留保をつけて捉えたいと思うのである。